『乙女の祈り』の作曲者~バダジェフスカ
取手市ほしなみピアノ いずみ先生です(^O^)
今夜は台風の影響で大雨になりそうです。皆様もお気を付けください。
(明日朝、ホール練習会なのですが💦夜のうちに通り過ぎているといいな)
さて『乙女の祈り』という曲ですが
今、生徒が練習しています。
オクターブがやたら多くて大変だけど、きっと素敵に弾けるようになるだろうな♡楽しみです。
私にとっては思い出の曲で
小学生のときに、同じクラスのピアノを習っている友だちと競って練習しました。
レッスンでは、好きな曲を弾かせてもらえるということはなく、所謂有名曲も習っていなくて
当時はピアノを習っている友だちみんながそんな感じだったもので、好きな曲は家や学校で練習しときどき披露し合って、楽しんでいたのです(^O^)
そうやって自分で弾いてみた憧れ曲は
・ショパンの『幻想即興曲』
・リチャード・クレイダーマン『渚のアデリーヌ』
・そして、バダジェフスカ『乙女の祈り』
でした♪♪
小学生女子の私は、ロマンチックな曲が弾きたかったらしい♡
『乙女の祈り』を作曲した人は
テクラ・バダジェフスカというポーランドの女性です。
生まれた年は1834年 または1838年と、記録がほとんど残っていないために、はっきりわかっていません。
どんな時代かといいますと
ショパンが20歳くらいの頃。
ポーランドという国が戦争によって、消滅してしまっていた時代でした。
(ロシア・ドイツ・オーストリアの3国に分割され支配されていました)
ピアノはヨーロッパ中で流行り、裕福な家庭の女の子は皆習っていました。
バダジェフスカの父親は警官で、割と恵まれた家庭だったのでしょう。
『乙女の祈り』を書いたのは1850年頃、バダジェフスカが16~18歳の頃で
はじめはワルシャワの新聞に広告を出し、自分の手で楽譜店へ売りに行っていました。
その後フランスの音楽雑誌(の付録)に載り、ポーランド以外でも演奏されるようになったそうです。
『乙女の祈り』は大ヒットして、フランスを出てアメリカや他の国でも出版され、
他の曲も書いてほしいと、依頼が来始めていたところで
1861年、32歳頃に 若くして突然世を去ってしまいました。
もうすこし長く元気でいてくれたら‥きっと美しい名曲が生まれていたのではないでしょうか。
バダジェフスカのお墓には、夫のヤンが立てた、楽譜を携え立つバダジェフスカの像があります。
グーグルマップで像が確認できるかも?と思ったのだけどうまくいきませんでした💦
こちらはwikipediaよりお借りしました。
タイトルの『乙女』というのは
聖母マリア様のことと言われています。
ポーランドではキリスト教を信仰している人がほとんどで、バダジェフスカも教会に通っていました。
オクターブが多くてダイナミックに音域を使うし
つい、力が入ってしまう箇所がたくさんあるのですけど
マリア様の祈り
あまりガンガン鳴らしてしまわないように
柔らかく 慈しみの音で弾きましょう♪
ところで、乙女の祈りへの答え~として
『かなえられた祈り』
という曲があるようです。今度弾いてみようかな?